仕事+遊び+沈黙+屑運+我刃+淫夢=女神問弧印 Travail + Jeu + Silence

私は何も分からない。 朝の光も分からなければ、夜の闇も分からない。 空の青さも分からなければ、めがとんこいんの重さも分からない。 しかし何をやるべきかは分かっている。

カテゴリ: 植物

牧野富太郎自叙伝 (講談社学術文庫)
牧野 富太郎
講談社
2004-04-10



「芸が身を助ける程の不仕合せ」ということがあるが、道楽でやっていた私の植物研究はここに至って唯一の生活手段となったのである。


学位や地位などには私は、何の執着をも感じておらぬ。ただ孜々として天性好きな植物の研究をするのが、唯一の楽しみであり、またそれが生涯の目的でもある。


もしも植物が無かったなら私はどれほど淋しい事か、またどれほど失望するかと時々そう思います。植物は春夏秋冬わが周囲にあってこれに取り巻かれているから、いくら研究しても後から後からと新事実が発見せられ、こんな愉快な事はないのです。


平素見馴れている普通の植物でも、更にこれを注意深く観察していきますと、これまでまだ一向に書物にも出ていないような新事実、それは疑いもなく充分学界へ貢献するにも足る新事実が見つかります。

私は老樹の前に根の浅い自分を恥じた。そうして地下の営みに没頭することを自分に誓った。今気づいてもまだ遅くない。


成長を欲するものはまず根を確かにおろさなくてはならぬ。上にのびる事をのみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ。


古来の偉人には雄大な根の営みがあった。そのゆえに彼らの仕事は、味わえば味わうほど深い味を示してくる。

純日本的な美しさの最も高いものは庭である。庭にはその知恵をうずめ、教養を匿して上に土を置いて誰にもわからぬようにしている。


はいり込んで行けば生やさしいことは一つとして存在していない。この世界では、もうよかろうという言葉や、いい加減にしておこうということは、忌み嫌われる。進んだら退くことを知らぬ。



茶の本 (岩波文庫)
村岡 博
岩波書店
2014-12-18




おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない者は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。


彼らは、日本が平和な文芸にふけっていたころは野蛮国と見なしていた。しかし日本が満州の戦場に大殺戮行動をおこしてからは、文明国とよんでいる。


もし文明がおそろしい戦争の栄誉に依拠しなければならないというのなら、我々は甘んじて野蛮人としてとどまるであろう。


ともにはかなきを夢見、おろかしくもうつくしきものに、しばし心をとめようではないか


彼らが断末魔の苦しみに叫んだとしても、その声はわれらの無情の耳へは決して達しない。


我々は、我々を愛し、黙々とつかえてくれるものに、常に残酷である


第一章 人情の碗
第二章 茶の諸流
第三章 道教と禅道
第四章 茶室
第五章 芸術鑑賞
第六章 花
第七章 茶の宗匠


花に心?
本当にないのか?
心があるのに、我々人間は理解できないだけではないのか?
どのようにすれば理解できるのか?
・・・・・・
脱ぐんだよ!おうあくしろよ!

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