仕事+遊び+沈黙+屑運+我刃+淫夢=女神問弧印 Travail + Jeu + Silence

私は何も分からない。 朝の光も分からなければ、夜の闇も分からない。 空の青さも分からなければ、めがとんこいんの重さも分からない。 しかし何をやるべきかは分かっている。

衆俗に諛びることなき真面目なる研究は、洋の東西を問わず、時の古今を論ぜず、唯純粋に名品の心を学び、己れを築くに謙虚な心構えを以てするということが、何より必要だとしなくてはなるまい。

それにしても、百尺竿頭一歩を進めて、是が非でもゆめ怠ってはならぬことは、大自然に天然美を学ぶことである。天に偽りなきが今更の如く感ぜられ、深く心にそれが刻みつけられ、美神の顕現を心眼に見るであろう。かくてこそ美に生きんとする者の生甲斐はあると言えよう。

ふしぎなような話であるが、最高の美食はまったく味が分らぬ。しかし、そこに無量の魅力が潜んでいる。


否、その味が味として人に分るから、まだそれは、ほんとうの味ではないのである。すなわち、無作の作、無味の味とでも言おうか、その味そのものが、底知れず深く調和が取れて、しかも、その背後に無限の展開性をもっているものでなければ、真実の美味ではなさそうである。

わたしたちは、したいと思っても、しようと思うのはなかなかだ。しようと思っても仕上げるまでには時を必要とする。だが、したいと思っている心を、しようと決心するには一秒とかからない。


むずかしいことはなにもない。やってみない先からとてもできないと思いあきらめているひとが、あまりにも多すぎはしないだろうか。

富士山には頂上があるが、味や美の道には頂上というようなものはまずあるまい。仮りにあったとしても、それを極めた通人などというものがあり得るかどうか。おそらくはないだろう。

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